
カラダのすみずみまで意識して役になりきる
劇団「山の手事情社」の看板女優で、市民劇の演出や子ども対象のワークショップ講師なども手がける倉品淳子さんが、2007年秋、倉品さんの出身地・福岡でお遊び助っ人企画「すっごい演劇プロジェクト」(明治安田生命社会貢献プログラムエイブルアートオンステージ参加事業)を立ち上げた。市内に住む60歳以上の女性を公募し、9日間のワークショップ「シニアのための俳優講座」を経て、そのメンバーらと2008年4月、マンションの一室で公演を行う。
作品は 『よろぼし〜近代能楽集「弱法師」』(原作:三島由紀夫)。倉品さんは、原作を「母と子の関係」に特化し、”平和の象徴”とされる母親像の蔭にかくれ無意識化された、母から息子へのエロティックな情念を母親自身である受講生から呼び覚まし、母親の長年の居場所、ダイニングキッチンという日常的な光景の中に再燃させた。
倉品さんは、98年、99年、埼玉県越谷市主催の「山の手事情社ワークショップ」に参加した60代女性の存在感に魅せられ、このうち3名と03年より3年かけて『ひかりごけ』(作・武田秦淳、演出・安田雅弘・倉品淳子)を創作、2006年には、山の手事情社EXTRA企画として東京で公演し、後に韓国へ招聘された。若い役者では到達し難い深みのある作品の創作経験が今回のプロジェクトにつながっている。現在、倉品さんの定期的なワークショップは、行われていないが「創作環境が整えば、じっくりと時間をかけて、いい作品を創りたい」と話している。
ワークショップ「シニアのための俳優講座」は、2007年11月〜12月の間、全9回、市民福祉プラザで行われた。受講生は14名。市内のアマチュア劇団で活動する者、芸能プロダクションに所属する者が数名いる以外は、演劇未経験者である。
まず、倉品さんが所属する「山の手事情社」独自の研修システム「山の手メソッド」を採用し、声の出し方、身体の感覚や動かし方など、演技をする上で必要となる基礎的な技術を習得する。
「重心を移行しながら動いたり、身体のベクトルを持ち、気を出したり、初めてのことばかり」(芸能プロダクション所属・はるみさん)、「目も、声も、頭も、息も、指先も、全部使っての表現を、ここまで明確に意識したことはなかった」(劇団所属・とし子さん)「相手の顔をみないで相手と同じ様に動く・止まる訓練を受けてから、赤信号の時、パッと止まるのがうまくなった(さゆりさん)」。
技術を学ぶ一方で、心身を最大限自由にし、一人ひとりの出し得るエネルギーの大きさに気付くのもワークショップの目的であった。例えば、全身を使って思い切り、歌う、踊る。漫才を即興でやってみる。ある時には、各チームでショートストーリーをつくり発表会を開いた。ちなみに、このストーリーのいくつかは芝居化され、後に行われる本公演の作品に組み込まれた。
「『どうでもいいから踊りなさい』といわれて、ウォーっと大声を張り上げて踊った。心の底から楽しかった。『私ってこうもなれるんだ』と思った」(育子さん)。「自分にないものは出てこない。それを無理して出そうとするのでなく、“生きてきた年輪”を出せばいいことに気づいた」(幸子さん)、「自分をさらけ出さざるを得ない訓練。ワークショップが終わった後、私たちは、そのままの姿でお互いを尊敬できる関係になった」(泰子さん)
わずか9日間のワークショップで実現した、開放的な身体のあり方、演劇に不可欠な役者同士の信頼関係の構築。ここで学んだことは、すべて本公演で生かされる。
制作担当で、倉品さんとは旧知の仲でもある森山淳子さんは「仲良し演劇サークルではなく、シニアの女性と”芸術”をつくりたい。こうした身体から表現していく倉品のやり方は、不自由な身体であっても、それを可能にしてくれます」と期待を込めた。



本公演までの稽古は、1月に始まり、週2〜3回、数時間行われた。倉品さんが東京在住のため、最初は課題に沿って進められ、月一度、福岡に訪れる倉品さんの前で発表する形式をとった。本格的な稽古が始まったのは、4月から。ほぼ毎日、7〜8時間に及ぶ。
「言い方にとらわれてはダメ。心と身体がその人の立場、その状態になって演技するとよ!」博多弁交じりの、厳しくも愛ある指導が続く。慣れない稽古に疲れ、ダメ出しに落ち込む受講生には、
「『自信がない』じゃなくて”やるっちゃん”。私だって舞台に立つときは毎回、逃げ出したくなる。それをふりきってやれば、何かが変わる。一緒にやろう」と役者という同じ立場で、その困難に共感しながら励ました。
4月25日(金)〜27日(日)にマンションの一室で行われた公演には、連日50人を超える観客が押し寄せた。普通の母親たちが、ある瞬間から豹変し、それぞれに潜在する母性の”魔”を表出させていく姿は圧巻で、舞台との距離が近いゆえ、シニアの表情、汗、声、身体の一挙手一投足が観客を釘付けにする。その感動は、プロの役者ではなく、実体としての母親たちが、演じたことと無関係ではないだろう。
地元で演劇活動を長年続けている受講生の一人は、
「出産してすぐの頃、子どもの存在が不思議で、まじまじと見つめていたことを思い出した。自分が産み落としたことで、無意識のうちにその子を縛り、愛とエゴを混同している母親という存在。三島は好きではないが、倉品さんの『よろぼし』には、大いに共感できた」(演劇作業室「紅生姜」主宰・恭子さん)
また、打ち上げの席で、演劇初体験の女性は、こう打ち明けた。
「実は、公演初日まで、苦しい、きつい、逃れたいの3セット。『30も違う若造に、ここまでいわれないかんのか』とも思った。ところが2日目から、不思議なことに注意されるのが心地よく聴こえてきて、再三言われた”心からの演技”の意味がストンとわかった。その瞬間、3セットが逆に大きな喜びに変わったんです。これまでずっと地味な生活をしていました。息子がこのことを知ったら泣くかもしれません」(道子さん)。
徹底した指導の中で、シニアの女性たちは、演劇を通じて自分自身と向き合い、戦った。その戦いが表現に厚みをもたらす。
「やりたい、でも身体が動かない。この格闘状態こそが劇的。彼女たちの身体そのものが演劇的といえます。動かない身体を駆使して、命を削りながらやっている。けれど、苦しむのでなく、そのことをものすごく楽しんでいる状態に持っていければ、若い人にはかなわなない演技ができるはず」と倉品さん。有り余るほどのエネルギー、動きづらい身体、そして重ねてきた人生経験を武器にする、シニア女優の誕生に期待をかけている。


